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上田利治の死 [追悼]

 元プロ野球監督上田利治さんの訃報 に接する。享年80。死因は肺炎。
 数年前にサンテレビのプロ野球中継の解説に出てきたはった時に、えらい弱らはったなあと思うた、というのはこの日記にも書いた覚えがある。その解説もかなり久しぶりやったんで、わざわざ書いたんやった。そして、今朝のスポーツ紙での訃報。ずっと病気療養中やったという。
 私の記憶に残る上田監督は阪急ブレーブスのユニフォーム。中学生時分から大学生時分にかけてよう西宮球場や西京極球場で阪急の試合を見に行った。いつも監督は上田さん。当時の上田さん、今の私よりもずいぶん若かったんやね。阪急ブレーブスの監督に就任したのが37歳。今やったらまだ現役の選手もようけいてますがな。
 西本監督のあとを受けて、若くして常勝チームの監督になり、日本シリーズ3連覇を果たしても「西本遺産で勝った」なんて言われたりしてて気の毒やったなあ。でも、上田監督になってから入った名選手はようけいるから、西本遺産と自前で育てた若手をうまくかみ合わせ、強さを維持し続けた名監督やったと思う。
 人呼んで「ええでのウエさん」。大阪のスポーツ紙の一面は必ずタイガースやから、有望な新人を記者に徹底的に売り込むために「あの選手はええで」をしつこいくらいに連発したんやそうです。
 阪急からオリックスにチームが譲渡されても監督を続けた。それはものすごく辛いことやったかもしれんけれど、「ブルーサンダー打線」を作りあげて神戸に移転するまで「ブレーブス」を守り続けはった。ファイターズの監督時代も、チームの立て直しに成功し、もう少しで優勝するところまでいったけれど、奥さんと娘さんが某新興宗教に入信したのをなんとか取り戻そうとするために監督を休養し、現場復帰した時はもう優勝の望みがなくなっていた。あそこらあたりからかな、弱っていかはったのは。
 それでもファイターズ退団後は、関東で試合がある時中心にサンテレビでよく解説をしてはって、その卓越した理論は聞きごたえがあった。日本シリーズで記録的な抗議をしたあの熱さと、野球を知りぬき組み立てたその知将としての力が阪急ブレーブス黄金時代を作ったのでしょう。
 謹んで哀悼の意を表します。

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