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はしだのりひこの死 [追悼]

 ひたすら寝る。先週の疲れは尋常やなかった。昨日は帰宅したあとしばらく動かれなんだくらい。というわけで、今日は完全休養日。おかげでめまいもほとんど感じんようになった。ああしんどかった。
 歌手の はしだのりひこさんの訃報 に接する。享年72。
 これでフォークルのメンバーは北山修さんだけになってしもうたんですなあ。
 私が小学生のころ、「帰って来たヨッパライ」が大ヒット。むろんフォークソングのフォの字もわからん年頃でありました。中学生のころ、母の買うた「フォークル大百科事典」というベストアルバムを聴いて、やっとすごさがわかった。このアルバムにはフォークルのヒット曲だけやなく、はしだのりひことシューベルツの「風」も収録されていた。これは名曲。人はみなただひとり旅に出てそこにはただ風が吹いているだけ、なんていう寂しい詩やのに、何かさわやかな風が吹いているような曲なのであります。この落差がぐっと胸を締めつける。はしだのりひことクライマックスの「花嫁」の方がヒットしたのかもしれんけれど、私は「風」の方が好きやなあ。
 その後は京都で独自の活動をしてはったようやけれど、テレビのCMで高品格さんと親子という設定で出演してはったのがなんとも面白味があったのを覚えている。得難いキャラクターやったなあ。
 謹んで哀悼の意を表します。

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中村鋭一の死 [追悼]

 元アナウンサー、国会議員の中村鋭一さんの訃報 に接する。享年87。死因は肺炎。
 父に教えられて、朝のラジオ「おはようパーソナリティー中村鋭一です」を聞いたのは中学生になった頃やったか。タイガースが勝った翌日、「それではいきましょう! 六甲颪!」と絶叫。たんたかたんたかたたたたたーっと前奏が鳴る。レコードに合わせて「ろーっこうおろーしに、さあっそおうとー」と朗々と歌いはじめる。愛称「鋭ちゃん」。美声やったし、歌も上手かった。後継者である道上洋三さんには悪いけれど、どら声の道上さんの「六甲颪」とは違うのです。
 レコードも買いました。「吼えろ! タイガース」というタイガースの過去の試合の実況や選手インタビューなどを収録したLPで、ナレーションはもちろん鋭ちゃん。1974年にBクラスに落ちた年に発売されたものなんやけれど、たぶん球団創設40周年に向けて製作されたもの。1962年の優勝決定の実況やとか、村山実の引退試合やとか、戦後すぐのダイナマイト打線の場内アナウンスやとか、貴重な音源がおしみなく収録されている。CDに復刻してくれへんものかなあ。
 実は、「阪神タイガースの歌」は、鋭ちゃんがラジオで歌うまでは忘れ去られた球団歌やったそうで、鋭ちゃんが歌うことにより、この名曲はタイガースファンの「国家」になったのです。そこらあたりは井上章一さんの「タイガースの正体」にくわしい。
 父に頼まれて本屋で「鋭ちゃんのバラード」(講談社)を買いにいった。局アナやけれど、関西の朝のラジオパーソナリティの草分けとして、タレント並みの知名度を誇った。タイガースが好きで、鮒ずしが好きで、スタッフにあだ名をつけ、リスナーの声を大切にした鋭ちゃん。なんとわずか6年で降板し、政界に転身したのですね。
 後継者の道上さんはテーマ曲の「クラリネットポルカ」も「六甲颪」も引き継いだ。
 学校でちょっとツッバった連中が「えーちゃん」を連発しているので、みんな中村鋭一のラジオを聞いているのかと思うたら、どうも様子が違う。実は彼らの「えーちゃん」は矢沢永吉という歌手のことやったのです。完全に文化圏が違うたのですなあ。
 国会議員を何期かつとめ、当選と落選を繰り返し、タレントとなってからは、私の耳の届く範囲で声を聞くことはなくなったけれど、タイガースが優勝したりすると、スポーツ紙にコメントが載ったりして、御健勝であることは確認できた。
 鋭ちゃんの「六甲颪」を聞いたことで、私の虎キチ(今は「虎党」というそうな)ぶりはさらにエスカレートしたように思う。幸い鋭ちゃんの「阪神タイガースの歌」(六甲颪)はCDに復刻され、「タイガース音頭」もキダ・タローさんのCDに収録されることで復活した。鋭ちゃんの「六甲颪」には間奏のところで御自身の架空実況が入っている。田淵選手が逆転満塁ホームランを打ってタイガースが優勝するという設定のもの。長年優勝から見放されてきたタイガースファンはそんな架空実況でおのれを慰めていたのですねえ。
 今も「六甲颪」がタイガースファンに愛されているのは、鋭ちゃんのおかげ。それだけでもはかりしれん功績があるんやないか。
 謹んで哀悼の意を表します。

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ブライアン・オールディスの死 [追悼]

 英国SF作家、ブライアン・オールディスさんの訃報に接する。享年92。
 ごめんなさい、私、「地球の長い午後」しか読んでへんのです。若い頃、必読SFのリストに載ってるようなものを片端から読んでいった、その中の一冊でした。むろん、その独特の世界観などインパクトは強かったけれど、それでファンになったというほどではなかったのですね。謹んで哀悼の意を表します。
 25年ほど前やったら、必読SFのリストもそれほど冊数がなかった。そやから片端から読むなんてこともできたのですが、今、SFマガジンの特集なんかでオールタイムベストとかのリストを見たら、絶版品切れも含めてものごっついことになってるからなあ。今の若いSFファンはどうやってはるんやろう。最近、若いSFファンとの交流がないのでそこらあたり疎くなっているのです。
 妻は、手帳に「SF入門」(福島正実・編)に掲載されていた必読リストを書き写し、古本屋の籠でそれらを探したり、図書館で「世界SF全集」を借りて読んでいったりしてました。私は「SFの世界」(福島正実)に載っていたリストを見たのやったかな。
 なんやかんやいうて福島正実さんの影響がまだまだ残っていた時代やったのですねえ。

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阿部進の死 [追悼]

 最近、教育問題がテレビや新聞で取り上げられると、必ず「尾木ママ」こと尾木直樹さんがコメントを求められるなあ。でも、私が子どもの頃は「カバゴン」こと阿部進さんがそのポジションにいたよなあ。カバゴン先生、いつの間にかメディアから消えてしもうたよなあ。何したはるんかなあ。
 てなことを先日ふと何気なく考えておりました。
 で、その教育評論家阿部進さんの訃報 に接する。享年87。死因は胃癌。おそらく長らく闘病生活をしてはったんやろう。
 カバゴン先生というと、私には強烈な記憶がある。私の通っていた幼稚園をカバゴン先生が訪問して、なにやらお話をしてくれはったのです。どんな内容かは覚えてへん。そこまで私は記憶力がよくはない。
 私が生まれて初めて「テレビの向こう側」の人を間近に見た、これが初めての体験やったのです。その時どう思うたか。「このカバゴン先生の背中のどこにチャックがあるんやろう」。
 そう、私は「テレビの向こう側」の人が実在するということに戸惑いを覚えていたのやろうね。そやから、「カバゴン先生」の着ぐるみが目の前にあると、そない思うたんやないやろうか。
 幼稚園児やった私は、カバゴン先生の訪問で、「テレビの向こう側」の人は現実に存在するということを知ったのでありました。
 教育評論家としての阿部進さんについては、正直何も印象がない。それよりも「スペクトルマン」で宇宙猿人ゴリによって怪獣カバゴンに変身させられてしもうたり、虫プロのアニメラマ「クレオパトラ」で「カバゴニス」というキャラクターで登場して声もあててはったとか、タレントとしての記憶しかないなあ。今でいう文化人タレントのはしりみたいなもんやったのか。それにしては今の文化人タレントよりも幅広い活躍をしてはったんやな。いくらテレビ向けのあだ名が「カバゴン」でも、特撮番組でほんまに怪獣カバゴンに変身させられる役を演じるなんて、今のテレビではそこまでする人はいてへんと思うぞ。
 訃報の記事によると「現代っ子」の名付け親やったとか。当時幼稚園児やった私はまさに「現代っ子」やったわけですね。その幼稚園児も50代半ばのおっさんとなり、名付け親の訃報もほんの小さなものでしかない。なんとなく寂しいね。
 謹んで哀悼の意を表します。

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中島春雄の死 [追悼]

 今日も猛暑日。お山の学校の仕事場も相変わらずサウナ状態。とはいえ、夕刻が近づくにつれ、蝉の声にも変化が。
 あらららら、これヒグラシやんか。自宅近辺ではクマゼミが朝もはよから暑苦しく鳴いているというのに。まあ高野山みたいにヒグラシばかり鳴いているのと違うて他の蝉の声と混じってるんやけれど。でもまあかなかなかなと鳴く声を聞くと、ああここは標高がやはり高いんやなあと思わずにはいられません。
 俳優の中島春雄さんの訃報 に接する。享年88。死因は肺炎。
 ゴジラだけやないです。「ウルトラQ」の第1話「ゴメスを倒せ」に登場するゴメスも中島さん。「ウルトラマン」のジラースも中島さん。もっともゴメスもジラースもゴジラの着ぐるみを改造したものなんでありますが。
 怪獣の動きというものを作った人、なのです。それまでのアメリカ映画の怪獣はキングコングみたいに人形アニメやったり、トカゲに装飾して撮ったものを合成したり、なんて感じやったけれど、中島さんは汗だくになり窒息しそうになりながら、あのゴジラ独特のゆっくりした歩き方や、放射能を発する時ののびあがり方やとかを編み出していかはったわけですね。それまで誰もやったことのない動きを創造したパイオニアなのですね。
 子どもの頃怪獣ごっこで怪獣のふりをする時、あののこぎりの五重奏みたいな声を真似ながら、一瞬背をのばし頭を振り、「ぐぇーん、ぎえ」なんて言いながら口から炎を吐くふりをしたものです。
 今ゴジラ映画を見ると、自分が真似していた動きはすべて中島さんが創造したものやったんやなあと気がつかされる。
 例えば「マグマ大使」に出てくる怪獣の動きなどは、なんかぎこちなくていかにも人が入ってますよという感じやったけれど、「ウルトラマン」に登場する怪獣の動きは、いかにもほんまにそういう生き物がいてるんやないかと思わせるものやった。当時の着ぐるみはほんまに分厚くて動きにくかったやろうけれど、そんな条件下で私たち当時の子どもにウルトラマンよりも怪獣の真似をしたくなるような魅力的な演技をしてはったんやなあ。
 当時の怪獣の魅力はその造形だけやなく、動き、鳴き声などすべてがマッチしていたから今でもその魅力を失わんのやろうと思う。それもこれも中島さんのような名優がいてこそやったんやね。
 謹んで哀悼の意を表します。

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山野浩一の死 [追悼]

 どれだけ今週体力を消耗していたか、ようわかりました。朝起きて、朝食後も深夜アニメの録画したのを何本も見てたんやけれど、いつもの土曜日と違うて無性に眠たくなり、昼食前に午睡。昼食後も午睡。夕刻起きてきて相撲を見、野球を見、パソコンに向かう。すぐに眠くなる。体がそれだけ休養を欲しているのですね。おそらく熱中症寸前まで行っていたんやないか。
 山野浩一さんの訃報に接する。享年77。死因は食道癌。
 SFファンにとっては第一世代のSF作家で、日本のニューウェーブSFの第一人者、なんやけれど、ネット検索して訃報の記事を探したら、スポニチのサイトでは「血統評論の第一人者」と競馬評論家としてしか生前の業績を評価してなんだりする。確かにそちらの業績も大きかったんやろうけれど、競馬をやらん私にはピンとこないのですね。
 古本屋で買うた「X列車で行こう」くらいしか持ってへんので私には山野さんについて語る資格はないのかもしれんけれど。サンリオSF文庫創刊の時に、「監修・山野浩一」とあったのを見て、完全に競馬の方に行ってしまわはったんと違うたんやと思うたのを記憶している。
 筒井康隆さんのアンソロジーに収録されている「X列車で行こう」や「メシメリ街道」はやはり強く印象に残っている。スタイリッシュな文体、独創的なアイデア、第一世代のそうそうたるメンバーの中でも、特に際立っていたんやないかと思う。
 ところで、横山光輝さんの「バビル2世」の主人公の名も「山野浩一」なんですよね。横山さんは意識して命名しはったんやろうか。別にどうでもええことではあるけれど。
 謹んで哀悼の意を表します。

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上田利治の死 [追悼]

 元プロ野球監督上田利治さんの訃報 に接する。享年80。死因は肺炎。
 数年前にサンテレビのプロ野球中継の解説に出てきたはった時に、えらい弱らはったなあと思うた、というのはこの日記にも書いた覚えがある。その解説もかなり久しぶりやったんで、わざわざ書いたんやった。そして、今朝のスポーツ紙での訃報。ずっと病気療養中やったという。
 私の記憶に残る上田監督は阪急ブレーブスのユニフォーム。中学生時分から大学生時分にかけてよう西宮球場や西京極球場で阪急の試合を見に行った。いつも監督は上田さん。当時の上田さん、今の私よりもずいぶん若かったんやね。阪急ブレーブスの監督に就任したのが37歳。今やったらまだ現役の選手もようけいてますがな。
 西本監督のあとを受けて、若くして常勝チームの監督になり、日本シリーズ3連覇を果たしても「西本遺産で勝った」なんて言われたりしてて気の毒やったなあ。でも、上田監督になってから入った名選手はようけいるから、西本遺産と自前で育てた若手をうまくかみ合わせ、強さを維持し続けた名監督やったと思う。
 人呼んで「ええでのウエさん」。大阪のスポーツ紙の一面は必ずタイガースやから、有望な新人を記者に徹底的に売り込むために「あの選手はええで」をしつこいくらいに連発したんやそうです。
 阪急からオリックスにチームが譲渡されても監督を続けた。それはものすごく辛いことやったかもしれんけれど、「ブルーサンダー打線」を作りあげて神戸に移転するまで「ブレーブス」を守り続けはった。ファイターズの監督時代も、チームの立て直しに成功し、もう少しで優勝するところまでいったけれど、奥さんと娘さんが某新興宗教に入信したのをなんとか取り戻そうとするために監督を休養し、現場復帰した時はもう優勝の望みがなくなっていた。あそこらあたりからかな、弱っていかはったのは。
 それでもファイターズ退団後は、関東で試合がある時中心にサンテレビでよく解説をしてはって、その卓越した理論は聞きごたえがあった。日本シリーズで記録的な抗議をしたあの熱さと、野球を知りぬき組み立てたその知将としての力が阪急ブレーブス黄金時代を作ったのでしょう。
 謹んで哀悼の意を表します。

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永射保の死 [追悼]

 今日は午前中は眠気に誘われず、昼食までずっと起きて、昨晩録画した深夜アニメや、日曜朝の「戦隊」「ライダー」「プリキュア」をセットで見たりして過ごす。
 昼食後、午睡。今日も熟睡。妻が洗濯物を干したりするのにベッドの横をばたばたしてたはずなんやけれど、全然気づかず寝ました。これで昨日までの疲労はかなりましになったんやないかな。
 朝のスポーツ紙で、元プロ野球投手永射保さんの訃報 に接する。享年63。死因は癌。
 カープ時代の永射さんは記憶にない。クラウンライターライオンズに移籍して、オールスターに出場するようになったあたりからかなあ、記憶に残っているのは。当時は珍しかったスリークォーター左腕。左打者はみんなてこずった。特に外国人選手、オリオンズのリー選手なんか、永射投手がマウンドに上がるとやけくそみたいに右打席に入ったという。たぶん「プロ野球ニュース」の珍プレー好プレー集で見たんやと思う。当時のオリオンズとライオンズの試合なんか、テレビ中継されることはほとんどなかったもんなあ。
 そやからオールスターであの独特の投球フォームを見た時は衝撃やった。チームが埼玉に移り、九州時代の選手が次々とトレードなどで姿を消していく中で、東尾、大田、永射の3選手はその実力でチームに残った。
 そこらあたりから永射投手の知名度が全国区になったのかな。今ではリリーフ左腕として各チームにこういうタイプの投手がいてるようになったけれど、その先駆者として、球史への功績は大きい。
 ホエールズに移籍してきた頃は往年の球威もなく、テレビで見ててもそれほど怖さはなかったけれど、クラウンライターライオンズ時代が一番球威、コントロールともよかったんと違うかな。
 スターばかりが野球選手やない。こういう職人みたいな選手がいてこそ、プロ野球は面白い。それを実感させてくれた選手の一人やった。
 謹んで哀悼の意を表します。

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土門正夫の死 [追悼]

 元NHKアナウンサー土門正夫さんの訃報 に接する。享年87。死因は肺気腫。
 土門アナウンサーというたら甲子園。高校野球の実況では正確な実況と落ち着いた口調で、野球中継の実況のお手本みたいな人やった。
 それよりも私はNHK定年退職後、フリーとしてサンテレビやTVKの実況をしてはった時の記憶が強い。先日、NHK小野塚アナウンサーの実況について書いたけれど、実は土門アナウンサーの実況の衣鉢を継いでいるという感じなのですね。
 サンテレビでは土門アナウンサーの前に、これもNHKの野球実況では名人といえた岡田実アナウンサーを起用している。サンテレビでは谷口アナウンサーあたり、岡田さんや土門さんの教えを直接受けているんやないかなあ。そしてそれは現在の湯浅アナウンサーや木内アナウンサーに受け継がれている。
 決して絶叫はしない。そやからというて盛り上がる場面では逆に静かにその状況を描写して緊張感を高める。間延びしそうな場面では解説の鎌田実さんからプロの技術論を引き出してくれる。野球の知識がそれほど深くない視聴者にも、押しつけがましくなくその魅力を教えてくれた。
 著書に「甲子園への道」などがあったけれど、残念ながら持ってへんのです。お小遣いの使い道の限られた中学生にとって、優先順位からいうとかなり後ろやったのですね。今思うと買うといたらよかったと思うけれど、こればかりは仕方ない。
 土門さんの実況は、後輩のNHKやサンテレビのアナウンサーにちゃんと受け継がれている。ジャイアンツの特に守備のうまくない選手に「名手」などと言うようなつまらん実況や、データを並べて目の前のプレーに目を向けないような実況とは一線を画した、ほんまもんの実況が。
 謹んで哀悼の意を表します。

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佐田の山の死 [追悼]

 愛すれどTigers「キャンベルが先発即初打点」を更新しました。

 大相撲第50代横綱、佐田の山晋松さんの訃報 に接する。享年79。死因は肺炎。
 私は現役時代の佐田の山をリアルタイムでは見てへんけれど、大鵬全盛時に突き押しの相撲で立ち向かい、恵まれているとはいえない体躯ながら横綱にまで昇進した闘志の人というイメージがある。平幕優勝者は横綱になれないというジンクスを打ち破ったのも佐田の山で、平幕優勝をして横綱になったのはあとは貴乃花くらいか。ちなみに平幕優勝を果たした場所、なんと十両の清の盛(のちの先代木瀬親方)に敗れているという。
 本名は市川晋松となっているけれど、これは当時の出羽海親方(元幕内出羽ノ花)の娘婿になったから。もとの姓は「佐々田」です。名門出羽海部屋で横綱まで張った力士ではあるけれど、なんと本名に山をつけたくらいのしこ名やったりする。つまり入門してとりあえずつけたようなしこ名を改名せずにそのまま取り続けたということなんやね。それほど期待されてなんだということなのかな。それを覆してついには理事長までつとめたんやからたいしたものです。
 私が相撲を見始めた頃はもう出羽海親方やった。親方としては横綱三重ノ海、関脇鷲羽山、小結佐田の海(父)、小結舞の海など個性的な力士を育て、理事長職に専念するために部屋を鷲羽山に譲って境川親方となった。理事長としては準年寄の制度を作り、年寄名跡を相撲協会で一括管理しようとした。名跡の売買が高額になって腐敗の温床となると案じ、改革を進めたんやけれど、他にもそれまで勧進元に頼っていた巡業も協会主催にして暴力団などが間に入ったりしないようとしたんやけれど、あまりに急激に改革を進めたもんやから、志半ばで理事長職を元豊山の時津風親方に譲り、一理事として審判部長をつとめたりした。
 理想を高く持ち、それに向けて一心に進む方やったんやろうなあと思う。今でも舞の海さんは師匠について語る時、その人格をいつも讃えているし、境川をついだ元両国の現境川親方も、弟子に「佐田」の名をつけるほど心酔しているのがわかる。
 理事長時代の改革がうまくいけば、その後の野球賭博問題や八百長問題などもまた違った展開になっていたかもしれん。おそらく無念の思いで外から協会を見てはったんやないやろうか。
 謹んで哀悼の意を表します。

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