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レツゴー長作の死 [追悼]

 日曜ですから、やはり午前中はテレビを友とする。「宇宙戦隊キュウレンジャー」は最終回。宇宙最強の悪、ドン・アルマゲはあっけなく最後を迎えたけれど、宇宙の生命エネルギーを集めていたのがキュウレンジャーの小刻みな攻撃で少しずつ漏れていき、ついにすっからかんになったところをやられるという、一応筋は通してある。そやないと、1年間やたら強かった相手がやられる理屈にはならんもんね。総勢12人という戦隊シリーズ最多のヒーロー群像ではあったけれど、全員を生かし切るのは難しかったかな。やはり5~6人が限度ですね。
 夜、ネットニュースを巡回していたら、レツゴー三匹のメンバー、レツゴー長作さんの訃報に接する。享年74。死因は肺がん。ここ数年闘病生活を送ってはったとのこと。
 これでレツゴー三匹は正児さんだけになったなあ。
 レツゴー三匹についてはレツゴーじゅんさんが亡くなった時 に書いたので、今日の日記では繰り返しません。
 長作さんは松竹新喜劇からコミックバンド「あひる艦隊」などを経て、レツゴー一修さんの抜けたところを埋める形でレツゴー三匹に加入。ここらの事情はレツゴー正児さんの著書などにくわしく書かれていて、じゅんさんは当初長作さんの加入には反対やったみたいやった。正児さんが2人中心でまわしていったらいいと説得し、結局その通り正児さんとじゅんさんの横に立って、時々横から話に入るという形は最後まで変わらなんだ。
 とはいえ、強引にネタを進めるリーダーの正児さんと、暴走気味に笑いを取るじゅんさんの間に立ちクールにつっこむ長作さんがいてこそのレツゴー三匹やったんやと、残された漫才の映像で確認できる。
 人(じん)長作名義でレコード「道頓堀人情」を発売。天童よしみさんらとの競作になり、天童さんほどではなかったけれどけっこうヒットしたという記憶がある。
 じゅんさんが俳優業を中心にしてからはトリオでの活動が休止され、三味線漫談をしてはったようやけれど、私は残念ながらそちらは見たことがないのでなんとも言われん。
 昭和の漫才師がまた一人、鬼籍に。
 謹んで哀悼の意を表します。

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アーシュラ・K・ル=グウィンの死 [追悼]

 朝、お山の学校の最寄りバス停に降り立ったら、粉雪がちらついている。試験監督をした後、奨学金関係の書類送付のため近隣の郵便局まで行く。空から落ちてきてダウンジャケットについているのは雪やない。霰です。封書が濡れんように脇にはさみ、ポストに投函。職場に戻る途中で霰は雪に変わった。午前中から昼にかけてずっとこんな天候。大雪やないだけましと思わんとな。この冬一番の冷え込みやとか。お山の学校近辺は昼も氷点下やったんやないか。今週末にかけて寒さは続くらしい。きついなあ。
 SF作家アーシュラ・K・ル=グウィンさんの訃報に接する。享年88。死因不詳。
 ごめんなさい。私、「闇の左手」も「ゲド戦記」も読んでません。「ゲド戦記」は岩波少年文庫で一応全巻持っているけれど、未読。そんな本は山のようにあるけどね。
 実はかつてサンリオSF文庫で上下巻で出ていた「マラフレナ」しか読んだことないんです。なんでそんなマイナーなものを読んだかというと、当時毎年出ていた「日本SF年鑑」のブックガイドを書くために、山岸真さんに読むように依頼されたのであった。
 若気の至りというのか、ブックガイドにはならず、いかに面白くないかを書きたてるような文章になってしもうた。いま読み返したらどう思うかわからんのやけれど、20代半ばの私にはかったるく感じられたのですね。で、正直にそういう内容のことを書いた。
 本が出版された後、現東京創元社の小浜徹也さんから「喜多の悪い癖が出た」と言われたのを覚えている。ル=グウィン初読で代表作でもなんでもないのにあたってしもうたのは不幸としか言いようがない。
 これを機に、今読んでいる「精霊の守り人」のシリーズや、池波正太郎の一連の「仕掛人」ものの間にはさんで、積んである山から「ゲド戦記」を掘り出して読むことにしようかな。
 たぶんご本人の目には触れてへんと思うけれど、30年ほど前、失礼なことを書いてすみませんでした。
 謹んで哀悼の意を表します。

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星野仙一の死 [追悼]

 午前中は、昨日の深夜に新たに始まった「ウルトラセブンX」などを見てから少し寝て、午後には年賀状の投函と駅前の神社へ初詣。5円の賽銭でどこまで願いがかなうかわからんけれど、しんどい状況から脱するために真剣に願う。
 昼のニュースで、もとドラゴンズ投手、ドラゴンズ、タイガース、ゴールデンイーグルス監督の星野仙一さんの訃報に接する。享年70。死因は膵臓癌。

 プロ野球史上まれに見るパフォーマーの一人やったと思う。むろんそれには実力が伴うてんとあかんのやけれど。「見せる」ことを意識してプレーをしたという点ではタイガースの藤村富美男さんが一番やったんやないかと思うけれど、藤村さんは人脈作りなどは苦手やったらしく、引退後はフライヤーズのコーチをしただけで球界から離れてしもうた。
 その点、星野さんは「爺殺し」の異名を持つほど財界の方々にもかわいがられ、名古屋でも大阪でもそれぞれに後援会があったくらい。裏方や記者への気遣い、ファンへの気配りも相当なもので、そらまあストレスはかかるよね。監督時代は何度も倒れてベンチ裏で静養したりもしたという。
 もともとタイガースファン、村山実ファンやったそうで、ジャイアンツ戦になると闘志むき出しのスタイルを貫いたのは村山さんのスタイルを意識してはったんやないかな。また、ドラフトで指名を約束されていたのに、ジャイアンツがそれを破って島野修さん(プレーブスのマスコット、プレービー君の中の人としても知られる)を指名したというので、よけいにジャイアンツ戦でのパフォーマンスに物語がついた。
 ドラゴンズで2度監督をし、2度優勝。そして野村克也監督のあとを受けて第29代タイガース監督に就任。片岡、アリアス、ムーア、金本、伊良部、下柳など補強を重ねて選手を大幅に入れ替え、2年目に優勝したことは、その当時ここに書いているので、それ以上付け加えることはない。
 ただ、その当時からずっと思うていたのは、星野さんはドラゴンズからの預かり物やということ。タイガースを優勝させるためにドラゴンズからお借りした方で、いずれはそちらにお返しせんならんと思うていた。その後、五輪チーム監督を経てゴールデンイーグルスに。結局私が勝手に思うていたドラゴンズへの復帰はなかった。
 投手としての成績は突出したものやなく、記憶に残る選手というにとどまると思うけれど、監督としてはセ・リーグで2チーム、パ・リーグで1チームと両リーグにまたがって3チームで優勝するという偉業を達成した人として記録に残る。ひとつのチームで名監督といわれても、その実績を買われて他チームに呼ばれ結果を残すのは難しい。ホエールズの古葉監督、ベイスターズの森監督、タイガースの野村監督と、数え上げたらきりがなかろう。それくらい難しいことを、しかもリーグをまたいでやってのけたんやから、名監督といえるやろう。その点は野村克也さんがどんなにぼやいても、ひがみにしか聞こえん。
 最後に、タイガースの優勝の翌日に各スポーツ紙に星野さんが出した1面広告を一枚紹介しておこう。こういうことができる監督は他にはいてへんと思う。いささかあざとさも感じるけれど、やはりこれだけのことはなかなかできるもんやないですわ。

 2003年の優勝はほんまに嬉しかった。星野さん、ありがとうございました。
 謹んで哀悼の意を表します。

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仁賀克雄の死 [追悼]

 朝、お山の学校の最寄りバス停に降り立ったら、粉雪がちらついていた。風も山から吹きおろしていて、一段と寒い。昼ごろ校舎から外に出たら、やはり粉雪ちらちら。この日記では再々書いておりますが、視覚的に「寒さ」を強化するのですね、雪というやつ。神経なるものが「寒っ」と感じてしまうのです。冬期休業中につき、生徒たちはほとんど来てへんし、教員の多くは年休の消化どきとばかりに出勤してへんし。校内は閑散としている。
 私は午後から日直当番にあたっていたんで出勤。午前中は諸般の事情で休むわけにはいかなくなったし、午後は日直のほか、奨学金関係でどうしても年内にすまさねばならん仕事があり、休みどころではございませんでした。
 仕事部屋の掃除やゴミ捨て、カレンダーの架け替えなど新年に向けての準備も整い、退勤時間ぎりぎりに生徒が書類をそろえて来てくれたので、奨学金関係の仕事も一段落。明日は休暇を取っているので、本日が御用納めと相成りました。ああ疲れた。
 夜、新聞のサイトを巡回していたら、翻訳家、仁賀克雄さんの訃報に接する。享年80。死因は肝臓癌。
 C・L・ムーアのノースウェスト・スミス・シリーズ「シャンブロウ」などの翻訳、ソノラマ文庫のディック短編集の編集などをしはった方で、野田昌宏さんが「SF英雄群像」で「『シャンブロウ』は俺が訳したかったのに仁賀克雄にとられた」と悔しがったはったのを思い出す。でも、ノースウェスト・スミスはあの野田節で訳されていたらかなり雰囲気が違ったと思うので、仁賀さんの少し硬めの文体でよかったんやないかなあ。
 これを機にC・L・ムーアが復刊されたらええのに(むろん松本零士さんの挿画もそのままで)。
 謹んで哀悼の意を表します。

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ある実習教員の死 [追悼]

 前任校でお世話になった実習教員さんが亡くなったと管理職から知らされる。享年61。
 この方は長年図書室で実務をしたはった方で、以前は毎年図書委員の生徒を連れて本の仕入れに取り次ぎの大阪屋のセンターまでいっしょに行ったりしていた。私も図書室担当を何年もしていたので、接する機会も多く、ちょっと疲れると図書準備室に行って世間話をしたり、次に入れる本について話をしたり、図書委員の指導について打ち合わせをしたりしたものです。
 私が転勤する直前、入院をしはったりというようなことがあったけれど、転勤後、再任用で学校に残ったということを知り、研修が前任校であった時にあいさつをしに行ったりもした。ただ、今年の夏に前任校に研修に行った時には図書室に姿が見えなんだので、残念に思うていた。その時は「今日は出勤日とは違うんかな」くらいにしか思うてなんだけれど、もしかしたらその時点でもう具合が悪かったのかもしれん。
 芸術鑑賞会の会場を予約する時も、本来私が行くべきところを授業の関係で難しいとなったら、「うちから近いから僕がいきますわ」と快く代理をつとめてくれはった。
 彼と話をしながら、毎年段階的に高校生必読の書籍を購入する計画を立てたりしていたけれど、突然の転勤で頓挫したのが残念で、転勤する直前に購入希望リストを託したら、次に研修で前任校を訪れた時に図書室に見に行ったらちゃんと購入してくれてはったのが嬉しかった。
 お通夜に参列したくはあったけれど、現任校から帰宅して、それから喪服の準備をしたりしていたら間に合わんことがわかったので断念し、昼ごろ電話で弔電を申し込んだ。
 次に前任校に研修に行ったりした時に図書室をのぞいても、そこにはもう私の知らない人しかいてへんということになるんやなあ。そう、前任校での楽しみの一つは図書室にもあったんや。
 謹んで哀悼の意を表します。

 12月17日(日)は、「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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はしだのりひこの死 [追悼]

 ひたすら寝る。先週の疲れは尋常やなかった。昨日は帰宅したあとしばらく動かれなんだくらい。というわけで、今日は完全休養日。おかげでめまいもほとんど感じんようになった。ああしんどかった。
 歌手の はしだのりひこさんの訃報 に接する。享年72。
 これでフォークルのメンバーは北山修さんだけになってしもうたんですなあ。
 私が小学生のころ、「帰って来たヨッパライ」が大ヒット。むろんフォークソングのフォの字もわからん年頃でありました。中学生のころ、母の買うた「フォークル大百科事典」というベストアルバムを聴いて、やっとすごさがわかった。このアルバムにはフォークルのヒット曲だけやなく、はしだのりひことシューベルツの「風」も収録されていた。これは名曲。人はみなただひとり旅に出てそこにはただ風が吹いているだけ、なんていう寂しい詩やのに、何かさわやかな風が吹いているような曲なのであります。この落差がぐっと胸を締めつける。はしだのりひことクライマックスの「花嫁」の方がヒットしたのかもしれんけれど、私は「風」の方が好きやなあ。
 その後は京都で独自の活動をしてはったようやけれど、テレビのCMで高品格さんと親子という設定で出演してはったのがなんとも面白味があったのを覚えている。得難いキャラクターやったなあ。
 謹んで哀悼の意を表します。

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中村鋭一の死 [追悼]

 元アナウンサー、国会議員の中村鋭一さんの訃報 に接する。享年87。死因は肺炎。
 父に教えられて、朝のラジオ「おはようパーソナリティー中村鋭一です」を聞いたのは中学生になった頃やったか。タイガースが勝った翌日、「それではいきましょう! 六甲颪!」と絶叫。たんたかたんたかたたたたたーっと前奏が鳴る。レコードに合わせて「ろーっこうおろーしに、さあっそおうとー」と朗々と歌いはじめる。愛称「鋭ちゃん」。美声やったし、歌も上手かった。後継者である道上洋三さんには悪いけれど、どら声の道上さんの「六甲颪」とは違うのです。
 レコードも買いました。「吼えろ! タイガース」というタイガースの過去の試合の実況や選手インタビューなどを収録したLPで、ナレーションはもちろん鋭ちゃん。1974年にBクラスに落ちた年に発売されたものなんやけれど、たぶん球団創設40周年に向けて製作されたもの。1962年の優勝決定の実況やとか、村山実の引退試合やとか、戦後すぐのダイナマイト打線の場内アナウンスやとか、貴重な音源がおしみなく収録されている。CDに復刻してくれへんものかなあ。
 実は、「阪神タイガースの歌」は、鋭ちゃんがラジオで歌うまでは忘れ去られた球団歌やったそうで、鋭ちゃんが歌うことにより、この名曲はタイガースファンの「国家」になったのです。そこらあたりは井上章一さんの「タイガースの正体」にくわしい。
 父に頼まれて本屋で「鋭ちゃんのバラード」(講談社)を買いにいった。局アナやけれど、関西の朝のラジオパーソナリティの草分けとして、タレント並みの知名度を誇った。タイガースが好きで、鮒ずしが好きで、スタッフにあだ名をつけ、リスナーの声を大切にした鋭ちゃん。なんとわずか6年で降板し、政界に転身したのですね。
 後継者の道上さんはテーマ曲の「クラリネットポルカ」も「六甲颪」も引き継いだ。
 学校でちょっとツッバった連中が「えーちゃん」を連発しているので、みんな中村鋭一のラジオを聞いているのかと思うたら、どうも様子が違う。実は彼らの「えーちゃん」は矢沢永吉という歌手のことやったのです。完全に文化圏が違うたのですなあ。
 国会議員を何期かつとめ、当選と落選を繰り返し、タレントとなってからは、私の耳の届く範囲で声を聞くことはなくなったけれど、タイガースが優勝したりすると、スポーツ紙にコメントが載ったりして、御健勝であることは確認できた。
 鋭ちゃんの「六甲颪」を聞いたことで、私の虎キチ(今は「虎党」というそうな)ぶりはさらにエスカレートしたように思う。幸い鋭ちゃんの「阪神タイガースの歌」(六甲颪)はCDに復刻され、「タイガース音頭」もキダ・タローさんのCDに収録されることで復活した。鋭ちゃんの「六甲颪」には間奏のところで御自身の架空実況が入っている。田淵選手が逆転満塁ホームランを打ってタイガースが優勝するという設定のもの。長年優勝から見放されてきたタイガースファンはそんな架空実況でおのれを慰めていたのですねえ。
 今も「六甲颪」がタイガースファンに愛されているのは、鋭ちゃんのおかげ。それだけでもはかりしれん功績があるんやないか。
 謹んで哀悼の意を表します。

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ブライアン・オールディスの死 [追悼]

 英国SF作家、ブライアン・オールディスさんの訃報に接する。享年92。
 ごめんなさい、私、「地球の長い午後」しか読んでへんのです。若い頃、必読SFのリストに載ってるようなものを片端から読んでいった、その中の一冊でした。むろん、その独特の世界観などインパクトは強かったけれど、それでファンになったというほどではなかったのですね。謹んで哀悼の意を表します。
 25年ほど前やったら、必読SFのリストもそれほど冊数がなかった。そやから片端から読むなんてこともできたのですが、今、SFマガジンの特集なんかでオールタイムベストとかのリストを見たら、絶版品切れも含めてものごっついことになってるからなあ。今の若いSFファンはどうやってはるんやろう。最近、若いSFファンとの交流がないのでそこらあたり疎くなっているのです。
 妻は、手帳に「SF入門」(福島正実・編)に掲載されていた必読リストを書き写し、古本屋の籠でそれらを探したり、図書館で「世界SF全集」を借りて読んでいったりしてました。私は「SFの世界」(福島正実)に載っていたリストを見たのやったかな。
 なんやかんやいうて福島正実さんの影響がまだまだ残っていた時代やったのですねえ。

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阿部進の死 [追悼]

 最近、教育問題がテレビや新聞で取り上げられると、必ず「尾木ママ」こと尾木直樹さんがコメントを求められるなあ。でも、私が子どもの頃は「カバゴン」こと阿部進さんがそのポジションにいたよなあ。カバゴン先生、いつの間にかメディアから消えてしもうたよなあ。何したはるんかなあ。
 てなことを先日ふと何気なく考えておりました。
 で、その教育評論家阿部進さんの訃報 に接する。享年87。死因は胃癌。おそらく長らく闘病生活をしてはったんやろう。
 カバゴン先生というと、私には強烈な記憶がある。私の通っていた幼稚園をカバゴン先生が訪問して、なにやらお話をしてくれはったのです。どんな内容かは覚えてへん。そこまで私は記憶力がよくはない。
 私が生まれて初めて「テレビの向こう側」の人を間近に見た、これが初めての体験やったのです。その時どう思うたか。「このカバゴン先生の背中のどこにチャックがあるんやろう」。
 そう、私は「テレビの向こう側」の人が実在するということに戸惑いを覚えていたのやろうね。そやから、「カバゴン先生」の着ぐるみが目の前にあると、そない思うたんやないやろうか。
 幼稚園児やった私は、カバゴン先生の訪問で、「テレビの向こう側」の人は現実に存在するということを知ったのでありました。
 教育評論家としての阿部進さんについては、正直何も印象がない。それよりも「スペクトルマン」で宇宙猿人ゴリによって怪獣カバゴンに変身させられてしもうたり、虫プロのアニメラマ「クレオパトラ」で「カバゴニス」というキャラクターで登場して声もあててはったとか、タレントとしての記憶しかないなあ。今でいう文化人タレントのはしりみたいなもんやったのか。それにしては今の文化人タレントよりも幅広い活躍をしてはったんやな。いくらテレビ向けのあだ名が「カバゴン」でも、特撮番組でほんまに怪獣カバゴンに変身させられる役を演じるなんて、今のテレビではそこまでする人はいてへんと思うぞ。
 訃報の記事によると「現代っ子」の名付け親やったとか。当時幼稚園児やった私はまさに「現代っ子」やったわけですね。その幼稚園児も50代半ばのおっさんとなり、名付け親の訃報もほんの小さなものでしかない。なんとなく寂しいね。
 謹んで哀悼の意を表します。

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中島春雄の死 [追悼]

 今日も猛暑日。お山の学校の仕事場も相変わらずサウナ状態。とはいえ、夕刻が近づくにつれ、蝉の声にも変化が。
 あらららら、これヒグラシやんか。自宅近辺ではクマゼミが朝もはよから暑苦しく鳴いているというのに。まあ高野山みたいにヒグラシばかり鳴いているのと違うて他の蝉の声と混じってるんやけれど。でもまあかなかなかなと鳴く声を聞くと、ああここは標高がやはり高いんやなあと思わずにはいられません。
 俳優の中島春雄さんの訃報 に接する。享年88。死因は肺炎。
 ゴジラだけやないです。「ウルトラQ」の第1話「ゴメスを倒せ」に登場するゴメスも中島さん。「ウルトラマン」のジラースも中島さん。もっともゴメスもジラースもゴジラの着ぐるみを改造したものなんでありますが。
 怪獣の動きというものを作った人、なのです。それまでのアメリカ映画の怪獣はキングコングみたいに人形アニメやったり、トカゲに装飾して撮ったものを合成したり、なんて感じやったけれど、中島さんは汗だくになり窒息しそうになりながら、あのゴジラ独特のゆっくりした歩き方や、放射能を発する時ののびあがり方やとかを編み出していかはったわけですね。それまで誰もやったことのない動きを創造したパイオニアなのですね。
 子どもの頃怪獣ごっこで怪獣のふりをする時、あののこぎりの五重奏みたいな声を真似ながら、一瞬背をのばし頭を振り、「ぐぇーん、ぎえ」なんて言いながら口から炎を吐くふりをしたものです。
 今ゴジラ映画を見ると、自分が真似していた動きはすべて中島さんが創造したものやったんやなあと気がつかされる。
 例えば「マグマ大使」に出てくる怪獣の動きなどは、なんかぎこちなくていかにも人が入ってますよという感じやったけれど、「ウルトラマン」に登場する怪獣の動きは、いかにもほんまにそういう生き物がいてるんやないかと思わせるものやった。当時の着ぐるみはほんまに分厚くて動きにくかったやろうけれど、そんな条件下で私たち当時の子どもにウルトラマンよりも怪獣の真似をしたくなるような魅力的な演技をしてはったんやなあ。
 当時の怪獣の魅力はその造形だけやなく、動き、鳴き声などすべてがマッチしていたから今でもその魅力を失わんのやろうと思う。それもこれも中島さんのような名優がいてこそやったんやね。
 謹んで哀悼の意を表します。

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