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1月17日の記憶 ブログトップ
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復興大臣の本音 [1月17日の記憶]

 朝から雨。夕刻、帰る頃にも、降るや降らずやという微妙な小雨。そのせいか体が重い。日照がないもんやから、仕事部屋も寒々としております。念のために冬用の下着を着用していたんやけれど、ちょうど間に合うたね。
 新聞では復興大臣の失言辞任が大きくとりあげられていた。思うていても口にしてはならんことをいうたんやから、まあやむを得んな。
「これがまだ東北で、あっちの方だったから良かったけど、これがもっと首都圏に近かったりすると莫大な、甚大な被害があったと思っている」
 この人、2回目やからね。自主避難した人らは自己責任と突き放した人やもんね。腹の中でこれくらい思うていたとしても何の不思議もない。それを口に出してしまうんやから、どうしようもないな。
 何回も書いてきたけれど、阪神淡路大震災の時、東京のマスメディアは被災地そっちのけで「もしこのクラスの地震が東京で起きたら」という番組を作ったりしていた。さすがに東日本大震災では関東にも被害が出たからそういうしょうもない番組は作られなんだけれど。
 国会会期中に、永田町に直下型地震が起きでもせんと、まあわからんやろうね、この人らは。
 そう、つまりは他人事なんです。他人事やからこそ、思いやらなあかんのです。他人事であることを自覚した上で、そこから自分に何ができるかと考えなあかんのです。2年前、仕事で東北に行って、地元の人とじっくりと話をする機会があった。そやからよけいにそう思う。
 アホに議員や大臣をやらしたらあかん。

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今こそ「ぽぽぽぽーん」を [1月17日の記憶]

 大相撲小言場所「平成二十九年春場所場所展望~新横綱、稀勢の里~」 を更新しました。

今日は完全休養日。昼食後、午睡爆睡。今週末は二連休なんで、少しでも疲れを取っておきたい。
 そして、今日は東日本大震災の日。もう6年、まだ6年。どちらやろう。どちらも、やろう。ただ一つ言えるのは、福島第一原発の処理はまだまだ終わってへんということ。まだまだ時間がかかるやろう、ということ。
 原発再稼働を主張している読売と産経の2紙が、社説では今日に限ってそのことに触れへんのはおかしいと思うんやけれど。被災者の心に寄り添えというならば、原発再稼働なんて口が裂けても言われへんと思うんやけれど。そやから、まだ6年。
 記憶は必ず風化する。6年前には「がんばろう東北」と言うていた人でも、6年たてば「被災者には賠償金があるだろう」と平気で言えるようになる。そやから、もう6年。
 今日くらい、テレビはすべてのCMをあの日からしばらくやっていたように「ぽぽぽぽーん」ばかり流したらどうやろう。

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まだら模様の記憶 [1月17日の記憶]

 午前5時46分、朝食の箸を休め、サンテレビにチャンネルを合わせ、しばし黙祷。
 外はまだ暗い。
 はて、22年前の今日、地震にゆすぶられて起きた時、こんなに暗かったかな。天井から下がっていた蛍光灯が大きく揺れていて、新婚早々の私は妻の上に覆いかぶさって蛍光灯が落ちてきた時に備えたというのは覚えている。わりとはっきり見えていたように思うんやけれど、22年もたつとその分の記憶だけが取りだされてしまっているのかもしれん。
 本の山を踏みつけてテレビのスイッチを入れた時も明るかったように思うけれど、あれは電気のスイッチを入れたんやったっけ。
 てなぐあいに、はっきり覚えていることとあいまいなのとがまだら模様みたいになってしもうている。
 神戸で被災した方たちはもっとくっきり覚えてはるのかもしれんけれど、それでもやはりまだら模様になっているところがあるんやないやろうか。
 あの揺れを体験した者でも「風化」は免れん。ましてや、その後産まれた人や震災後に神戸に住むことになった人は、地震そのものを体感してへんのやからなあ。神戸在住の方で、震災に遭うた人の割合が6割まで減少したそうな。
 それやからこそ、震災の恐ろしさを少しでもこうやって書き残しておかねばと、毎年思う。
 お山の学校の近辺の道は凍てついていて、すべらんように慎重に歩く。昨日までの寒さはなくなったけれど、ストーブで温めた部屋から廊下に出るとひんやりするねえ。
 ぬくい大阪市内に早く帰りたくて、定時に退出。帰宅して録画した相撲中継を見る。平幕の貴ノ岩がはたき込みに敗れ、1敗は照ノ富士を落ち着いて組み止めて寄り切った稀勢の里一人になった。このまま初優勝しそう、という雰囲気にならんところが稀勢の里らしさか。白鵬は連敗を止めて2敗でぴったりと着いてきている。さてどうなるこっちゃら。

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朝の地震 [1月17日の記憶]

 それは朝6時ごろ。朝食を食べている最中のことやった。
 がたんと音がしたので、妻が起きてきたのかと思うた。ちらりとのぞくけれど、リビングの扉は閉まったまま。おかしいなと思うたら、またみしりと音がする。
 来るな、と思うた。
 来た。
 めまいを起こしたような感覚が襲う。ゆうらりうらりと揺れている。
 地震や。
 高層マンションの耐震構造のおかげで、揺れはなかなか治まらん。朝食をとりながら深夜に録画したアニメを見ていて、もうすぐ見終わるところやったから、終わりまで見てしまう。ビデオの再生が終わると、「おはようコールABC」の画面に切り替わった。ビデオデッキのチューナーは朝日放送にしてあったのです。
 福島沖で震度5の地震! しかも津波の恐れあり。
 揺れも治まったので、朝食のあと片づけをしてから寝室の妻の様子を見に行く。妻も地震の揺れで目を覚ましていた。
 余震は関西にまで波及してこんようやったんで、身支度をして出勤。地震の影響で電車のダイヤに乱れが出ているとかいうこともなく、出勤してニュースサイトにつないでみて、原発にも大事なしということで、初めてほっとする。
 朝からはらはらさせられ、仕事は満杯。夕刻帰宅したらもうへろへろ。明日が休みというその思いだけで気力で一日もたしていた感じでありました。
 ほんまに地震はあの1月17日以降、何をおいても一番怖いのですよ。

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天の警告 [1月17日の記憶]

 熊本は一日中直下型地震に見舞われていて、タイガースのデーゲーム中継を見ていても、ひっきりなしに地震速報がテロップで入る。直下型なので、大阪にまでは波及してないし、津波もないけれど、家屋の倒壊はニュースで見ていても正視でけへんありさま。
 ただ、昨日の夜の地震はちょっと違うた。遅くまで起きていて、やっと1時過ぎに布団にもぐりこみ、うとうとしはじめた頃、揺れ始めた。何分ぐらい揺れていたかわからん。高層マンション特有の長中期振動です。なんとか揺れがおさまったので、布団から出てリビングにいてた妻のところまで行く。
 テレビの緊急ニュースでは、熊本に津波注意報を出していた。
 未明にも大きな地震がまたあったみたいやけれど、こちらは大阪には全く波及せず。その後の地震も同様。寝入りばなの地震だけ、質が違うものやったみたいやなあ。最初の地震に刺激されてプレートが動いたんやろうか。
 他人事やないぞという天の警告、なんて気分になったのでありました。

 明日、4月17日(日)は、「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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5年目の黙祷 [1月17日の記憶]

 今日で東日本大震災から5年。私の職場でも午後2時46分ごろ、一斉に黙祷。
 昨年の6月、修学旅行で東北に行き、被災地の現状を見てきたり、タクシーの運転手さんからその時の状況をたっぷり聞かせてもろうたり、民泊の農家の方たちからなんとか東北を盛り上げていかせようという思いが伝わってきたりという体験をしただけに、今年の3・11は去年よりもいろいろな思いが渦巻いている。
 整備はされているものの更地になったままの土地が海岸に沿ってずっと続いている眺め、何もないところに慰霊の地蔵だけが鎮座している様子など、今も鮮明に思い浮かべることができる。
 バスで語り部の方とともに被災地をまわったこと、地元の水産会社が様々な記録をワンフロアつぶして保存していたことも、黙祷の間思い出された。
 阪神淡路大震災の際、自宅の水が出なくなった同僚がミネラルウォーターを買いこんで帰っていったこと、当時住んでいた団地の漏水がなかなか解決せず10ヶ月ほどかかってやっとなんとかかたがつくまでの苦労なども思い出された。
 人それぞれ、いろいろな思いがあるやろう。東日本大震災についていえば、やはり現在でも私にとっては他人事である。そやからこそ無関心であってはいかんと痛感しているのです。
 もう5年、そやけどまだ5年しかたってへんのやから。

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あの日に産まれた力士 [1月17日の記憶]

 朝は5時20分ごろ起き、45分に、少し黙祷。21年目か。この日に産まれた淡路島出身の幕下力士、照強(てるつよし)は思い切り強い出足で勝った。むろん、思うところがあったはず。あの日に産まれた赤ん坊が小兵とはいえ力士として関取を目指しているんやからなあ。
 大阪の学校に勤務しているからというて、同僚すべてが21年前の揺れを体験しているとは限らんしねえ。若い先生もいてれば、他府県出身の方もいてる。記憶の共有ができる人が周囲に少なくなっているのですよねえ。
 現在私が勤務している職場は活断層が近くにあるはずなので、もし21年前と同様の地震が起きたらかなり揺れるに違いない。
 東日本大震災の方は、昨年修学旅行でいったときに「復興はまだまだ」と実感させられた。ほんなら、阪神淡路大震災の場合は復興したといえるんやろうか。風化は確実にしているとは思うけれど。
 風化することは当たり前。そやけど、やっぱりあの日の記憶は、そしてその後団地の自治会長として被害の後始末に忙殺された記憶は、かなり鮮明に残る。
 忘れたいことも、覚えているんですよ、悲しいことに、ね。
 考えがまとまらんので、思いついたことを思いついた順に書いておく。とにかく書き残しておくことが大切やと思うから。
 「たちよみの会」は私一人しか例会に出てなんだので、新年会はなし。来月に延期、ということにしとこうかな。

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避難から永住へ [1月17日の記憶]

 諸般の事情で、勤務校の職員室にある私物一切合財をかたづけなならんことになる。事情はまた後日書く。月末までになんとかしたらええんで、できるところから少しずつ。会議等々の合間を縫うてということになるから、そんなに一気にはかたづかんのであります。
 今日は東日本大震災から4年。遥か彼方の大阪にいてると、復興してるんやらどうなんやらようわからんけれど、総理が復興予算を引き続きつけるとか言うてるから、まだまだ復興は先なんやろう。特に福島第一原発の廃炉に向けての動きは遅々として進んでへんらしいことだけは確かなようですね。もっとも総理はIOC総会で「コントロール下にある」と大見得を切ったりしてたけれど、今でもまだそんなことは言えるのかなあ。
 他府県に避難してそのまま4年も暮らしていたら、そこの土地に慣れ、もとの住まいに帰る気がなくなったという人も多いらしい。そらそうやろうなあ。いつ帰郷できるかどうかわからん我が家よりも、とりあえず生活できている現状を選びたくなるのが人情というものやと思う。
 風化させてはならんとよそものが力説しても、当事者は実はもう記憶から消し去りたいと思うこともあるやろう。4年、5年くらいはそのぎりぎりの年限なんやないか。これが10年後となるとまた気持ちも変わるやろうけれど。
 住めば都。ちょいと腰掛けのつもりが長っ尻になってしまうこともある。慣れてしまうと、動くのが面倒になる。そういうものやなかろうか。そのことについてとやかく言う権利は、よそものにはないのですよ。

 3月15日(日)は「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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風化させるなという言葉 [1月17日の記憶]

 朝は6時30分ごろ起床。特別な日やから早起きするというのは、性やないのです。
 新聞でもテレビでも「震災の記憶を風化させるな」とやかましく書いたりいうたりしている。こういうことを書く人ほど、記憶が風化しているのです。そやからわざわざ「風化させるな」と言うのです。
 風化させたくても風化でけへん、そやから今も辛かったりするのです。20年たっても、まだ生々しく記憶に残っていて、震災のことを思い出さないことはないという人はようけいてると思うのです。そういう人たちは声高に「風化させるな」とは言わんと思うのです。それどころか、忘れてしまいたいことも忘れられなくて苦しんだりするのです。ちょっと地べたが揺れただけで恐怖がよみがえってしまう人もいてるのです。
 私は、あの後被災した人に対してでけなんだことがあったとか、神戸とは比較にはならんけれど住んでいた団地の自治会長やったことでいろいろと苦労したり人にお世話になったことなど、忘れたくても忘れられんことが、やはりあるのです。
 ニュースを見ていたら、祈りに来た被災者を待ち構えて古傷をえぐるような質問をしたりしています。見ているだけで辛くて泣いてしまいました。
 もう一度書きます。記憶が風化しているからわざわざ「風化させるな」と言いたてるのです。そういうものだと思います。
 でも、当事者やなかったら風化するのは当たり前です。そこは自覚しておかねばならんことでしょう。そのために、風化させたくてもでけん人は「語り部」の役割を背負わされるのでしょう。
 それが証拠に、9月1日に「関東大震災の記憶を風化させてはならない」とは誰も言いません。なぜなら、「語り部」すらもういないからなのです。先月読んだ文庫「幸福の持参者」というアンソロジーには、関東大震災のあとの状況を描いた小説が何本も選ばれていました。ああ、語り部はこんなところにいてたんや。
 きっと阪神淡路大震災も、東日本大震災も、100年後にはそんな形でしか語り継がれへんのやないかと思います。そういうものなんやということに無自覚なまま「風化させるな」とわざわざ言うべきやないんやないかと、そんな風に思うたのでありました。

 明日1月18日(日)は「たちよみの会」例会です。今月は例会後、新年会を予定しています。多数のご参加をお待ちしています。

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被災地のゆずポン酢 [1月17日の記憶]

 東日本大震災から3年。被災者の中にはまだ仮設住宅に住む人もいるし、フクイチは相変わらず汚染水漏れのニュースが伝えられる。震災はまだ続いているんやなあ。
 この日記で何度も書いてきたけれど、私は津波の恐ろしさを被災者と共有することはでけん。しょせんは他人事であるから。
 ただ、震災からしばらく、嫌というほど「ぽぽぽぽーん」というACのCMを見せられたことは、全国の多くの人と共有できる体験やないかと思う。震災という大事に対して、通常のCMを流さないという放送局の「自粛」のいやらしさいうたらなかったなあ。
 それはともかく、昨年暮れ、障碍者の共同作業所の物品販売で気仙沼の「ゆずポン酢」を購入したところ、これがなかなかいけるのであります。気仙沼はゆずが自生する最北限やそうで、地元のゆずを使うた「ゆずポン酢」なのですね。私にできることというたら、そういう物品を購入して、ちょっとは被災地にお金がまわる(雀の涙ではあるけれどね)ようにすることくらいやな。おいしかったので、今年の暮れにも同じ商品が販売されるのなら、また買おう。
 鎮魂のなんのというより、復興に向けて踏ん張っている人たちのお手伝いがちょっとでも(ほんまにちょっとやけれど)したいという気持ちを持ち続けていくのが、恐ろしさを共有でけん者のつとめやないかと思うのです。
 ところで、「ぽぽぽぽーん」の歌を歌うてはった歌手の方は、今はどうしてはるのか。なんとなく気になってしもうた。

 3月16日(日)は「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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