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1月17日の記憶 ブログトップ

記憶は風化する [1月17日の記憶]

 今日は東日本大震災から1年という日。午後は午睡。よって2時46分ちょうどには黙祷できず。夕方に相撲中継の録画を見ていた時に幕内力士全員と館内の観客が黙祷したので、数時間遅れで黙祷する。同じ時間にしなければ意味がないとおっしゃるな。これすべて気持ちの問題ですがな。逆に同時刻に日本人全員が一斉に黙祷できていたとしたら、そちらの方が私には怖い。全体主義とはそれを強制するシステムなのであります。
 マスメディアも、今日ばかりは「この記憶を風化させてはならない」というてますけど、風化しますねん。10年過ぎたら、阪神大震災の記憶なんか、特に東日本の方にとってはもう何も関係なかったみたいになってたでしょう。忘却とは忘れ去ることなり。記憶なんてのは全くあてにならへん。
 そやから、有無を言わさず法律や制度に今回の教訓から得たものを組みこんでしまわなあかん。なんでこんな法律があるねんと思いつつも、そのおかげで助かったりする。原発にしてもものすごく厳しい基準を今のうちに作っておかんならんと思うよ。
 もっとも、地震から半年もたたんうちに「原発は再稼働すべき」と主張し、ついには原発の危険性に対して「危険神話」と命名した産経新聞の例もあるので、風化も何もあったもんやないですけどね。

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震災と人生観 [1月17日の記憶]

 今年もこの日がきた。
 記憶を風化させたらあかんと、毎年無理にでも阪神大震災について書き続けてきた。
 ところが、去年の3月11日、記憶の風化どころか、さらに厳しい現実を突き付けられた。
 腹の立つことに、17年前は他人事として通常の番組編成をしていた各テレビ局が、東京でも揺れたということもあったか、今回は地震関連の番組ばかりこれでもかこれでもかと傷口に塩をもみこむように放送した。
 驚いたことに、関東の人間は水の備蓄もしていなければ手回し発電のラジオ付き懐中電灯のひとつも常備してなんだ。17年前の教訓は、近畿という狭いエリアでしか生きてなんだんや。いや、大阪では地震が起きたらあたりが液状化し、ビル機能がすぐに停止するような高層ビルに「災害対策本部」を置こうという愚かな府知事まで登場した。
 その人物と仲間たちは、東北で起きた大災害を目の当たりにしながら、それでもそんな場所に固執していたりする。
 あの震災の記憶はもうすでに風化していたんや。
 人の運命なんて、どうなるかわからん。そやから自分にできるだけのことをちゃんとしておきたい。そういうふうに人生観が変わった。東北の被災者たちもそうやろう。
 きれいに「絆」なんて言うてんと、生きている間にしっかり生きるということを思い出させてくれる、今日と3月11日ははそういう特別な日なんや。
 今年はそういう意味でも特別な意味を持つ1月17日になった。

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日常に戻ると [1月17日の記憶]

 大震災が起こってから3週間。そろそろ生活が日常に戻りつつあったり落ち着いたりする方もいてはると思います。
 自分の経験からいうと、この時期が危険ですわ。阪神大震災の時、震災が発生した1月17日から3週間くらいした2月のはじめ、なんとか日常生活に戻りはじめたくらいにインフルエンザにかかったんですわ。何日か休んで、やっと治り出勤したら、また違うインフルエンザにかかってぶっ倒れておりました。
 新婚でもあったし、気が張っていたんやろうね。で、緊張感が緩んだところで疲れがどっと出た。体力が低下してインフルエンザに感染した。
 すべて私と同じになるとは思いませんけど、やれやれという時が一番危険やと思います。ご参考になれば幸い。

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客を乗せた試運転 [1月17日の記憶]

 16年前の今日、地震で部屋の中が崩れた本に埋まっている中をなんとか着替えて朝食をとり、それでも仕事に行こうとした。当時は妻も働いていて、住んでいた団地の最寄りのバス停に二人で行った。長い列ができていた。本数は少なかったけど、なんとかバスはやってきた。
 K阪電車はなんと運行していた。あまり被害はなかったんやろう。私は北浜で降り、妻は淀屋橋で降りた。淀屋橋から徒歩で職場に行けた妻は会社にたどり着けたけれど、私は北浜でO阪市営地下鉄に乗り換えることがでけなんだ。運休していたんですわ。
 駅の公衆電話から職場に電話した。あのころは携帯なんて持ってるのはほんまに一部の人だけやったもんな。私が携帯を買うたのはそれから2~3年後、修学旅行の下見に行くことになり、公衆電話のないところでも職場に連絡できるように、という理由からやった。そやからこの時は公衆電話。もし現在のように携帯が普及していたら、情報の伝わり方もまた違うたやろうな。インターネットよりもパソコン通信が主流やった時代ですわ。
 で、職場に連絡したら「来られんのやったら無理してくるな」という管理職の返答があり、私はそのままUターンしてK阪電車に乗って帰路についた。
 まだ余震はあったよなあ。あの電車に乗ってる途中に大きな余震がきて大事故になっていたらと思うと、今でもぞっとする。「K阪は乗客を乗せて試運転したん違うか」と当時はよく冗談口に言うたもんやけど、事故が起こってたらシャレにならんところですよ。
 宿替えをしてK阪電車に乗る機会はかなり減った。それでもK阪電車を利用すると、16年前の今日、他社が運休しているのにいち早く運行をしたいたことを思い出すのであります。
 今日、授業中にあの日の記憶を語った。彼女たちは当時0~1歳。むろん記憶しているはずはない。そういう生徒にあの日のことを話すのは決して無駄なことやないと信じている。

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笑顔で出勤 [1月17日の記憶]

 今日、クラス担任をしている生徒たちに、愛する人への思いというようなテーマで(WYSHプログラムという性教育の一環です)「担任からのメッセージ」というのを語ることになった。
「僕は出勤する時に必ず笑顔で出かけることにしています。もし何かが起きた時に、妻の記憶に残る最後の姿がむくれている表情やったりしたら、それが記憶として残ってしまう。笑顔を記憶に残しておいてほしいと思う」というような話をする。私のオリジナルやなく受け売りではあるんやけれど、心がけているというのは嘘やないからね。
 なんで「何かが起こったとき」という発想になるかということを考えた。おそらく、震災を経験しているからなんやろうな。世の中、どんなすごいことが起こってもおかしくないということを、身にしみて感じさせられたわけで、そう思うと、今16~17歳の生徒たちにはそう思うことへの実感はもうないんやないかな。
 20世紀も少しずつ遠くなっていくんやなあ。

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静岡で地震 [1月17日の記憶]

 朝、5時頃起床。今朝が特別というわけやなく、だいたいこのくらいの時間に起きて、トイレに行ってお茶を一杯飲んでベランダで一服つけて新聞読んで、朝食をとりながら深夜に録画したアニメを見てから支度して出勤というリズムが身にしみついているのです。昨日から盆休みなんやけれど、このリズムは変わりませんな。
 で、ベランダで一服つけてたら、ゆらーりゆらーりときた。かなり振幅がある。うちはタワーマンションの真ん中くらいのところにある。耐震構造としては、建物全体をゆっくり揺らして力を逃がすというような工法をとっている。というわけで、とにかくゆらーりゆらーり。今あわててタバコの火を消そうとして失敗したりしたらあかんので、揺れがおさまるまで手にしっかり持っておくことにした。それにしても、以前は風呂場ですっぽんぽんの時に地震がきたし、今朝はベランダか。なんか逃げようのない場所にいるときに決まって起こるな。
 妻も起きてきてテレビを見る。震源は静岡。台風も来てるから土砂災害など非常に心配。続報などで、神戸の時のような大惨事にまではなってへんということがわかり、少しほっとした。
 とはいえ、本の下敷きになって亡くなった43歳の女性なんて、他人事やないからね。そう思うSF者はさぞかし多かろう。実際、阪神淡路大震災の時、我が家の本棚も相当数本が瓦礫のように散乱するようになったしな。あれはまだ生々しく記憶に残っている。あれを体験してへん人は冗談口ですませるやろうけれど、経験した人はだいたいが背筋を凍らせるんやないかと思う。

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運と災難 [1月17日の記憶]

 ミヤコ蝶々・南都雄二の漫才に「運と災難」というネタがある。常に幸運な蝶々さんとひたすら不運な雄二さんというホラを蝶々さんが吹きまくるというもの。
 そやけどね、運と災難、これ紙一重なんやと思う。新聞の特集記事やテレビの特番を見ていたら、たまたまその日神戸の親戚の家に遊びに来ていたら被災し命を落としたという人もいてたら、神戸の実家に子どもと帰っていて親から「もう一晩泊っていき」と言われたのを断って大阪の自宅に戻り被災を免れたという人もいてる。
 私は幸い活断層から離れた所に住んでいたんで、命がけというような目に遭うことはなかった。そやけど、それはたまたま。
 そやから、その幸運に対し感謝し、たいしたことはでけへんでも今日という日が「忘れたらあかん日」やということを毎年しつこく書きつづらなならんと決めている。それは、与えられた「運」に対する必要な責務やと思う。
 14年前の今日、近畿が揺れた。多くの人たちの命が失われた。そのことを忘れたら、あかん。

 明日1/18(日)は「たちよみの会」の例会です。今月は例会後、新年会を予定しています。多数のご参加お待ちしています。

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被災地の知事 [1月17日の記憶]

 いくら腹に持っていても口に出したらいかんという言葉というのはあるよなあ。「関東大震災が起こったら(関西経済にとって)大チャンスだ」というのを、それも被災地の知事が言うと問題になるのは当たり前ですよね。
 ただ、この「失言」は「ここでこういう発言をしたらマスコミに取り上げられて話題になり、非難も浴びるが称賛の声もあがるだろう」みたいな、計算のうえの発言という印象を受けないという点において、そしてまた震災の被害から立ち直るための労苦みたいなものとその間に経済の中枢を完全に握ってしもうた東京に対する屈折した思いが透けて見えるという点において、生々しい本音という感じがする。
 それに対し「僕が言うのもなんだが、不適切だ」とコメントした隣の知事の胸中に「マスコミはもっとうまく使えよばーか、これだから素人は。けっ」という気持ちがこめられたりなんかしているということは、たぶんないと思いたいですね。

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朝の闇 [1月17日の記憶]

 朝、5時50分ごろに起きた。
 フリースを羽織ってベランダに出た。
 空はまだ暗かった。闇、というほどやなかったけれど、夜の空やった。
 13年前の今日、空はこんなに暗かったかなあ。
 天井からぶら下がる蛍光灯がゆっくりと、しかし激しく揺れていた記憶はある。
 起きて立ち上がり、部屋の床が本などで完全に埋まり、棚が空になっていたのも覚えている。
 食器棚の戸がしっかり閉まっていたおかげで食器類が散乱せんとすんでいたことも覚えている。
 ようようつけたテレビの画面に、まるで怪獣が暴れたかのように破壊された神戸の街が上空から撮影されていたのも覚えている。
 ただ、あの時の空の色についての記憶が、ない。
 動転してたからなんか。
 空が明るいか暗いかなんて同でもよいことと脳が記憶を処理してしもうたのか。
 今、私が教えている高校生たちは、その時5~2歳か。
 揺れた感触くらいは体に刻みこまれているやろうか。
 たずねてみようと思うたけれど、やめた。
 「記憶がないんですよ」なんて言われたりしたらどうしよう。そんな回答に私はどのように言うべきなのか。
 うまく伝える言葉を、私は持たない。ただ、こうやって、自分の記憶だけは毎年確かめておこう。
 13年前の今日、天井が、床が、すべてが揺れていた。
 たぶん、その揺れはまだ終わってない。

 1月20日(日)は「たちよみの会」の例会です。今月は新年会をしますので、多数のご参加をお待ちしています。


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