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星野仙一の死 [追悼]

 午前中は、昨日の深夜に新たに始まった「ウルトラセブンX」などを見てから少し寝て、午後には年賀状の投函と駅前の神社へ初詣。5円の賽銭でどこまで願いがかなうかわからんけれど、しんどい状況から脱するために真剣に願う。
 昼のニュースで、もとドラゴンズ投手、ドラゴンズ、タイガース、ゴールデンイーグルス監督の星野仙一さんの訃報に接する。享年70。死因は膵臓癌。

 プロ野球史上まれに見るパフォーマーの一人やったと思う。むろんそれには実力が伴うてんとあかんのやけれど。「見せる」ことを意識してプレーをしたという点ではタイガースの藤村富美男さんが一番やったんやないかと思うけれど、藤村さんは人脈作りなどは苦手やったらしく、引退後はフライヤーズのコーチをしただけで球界から離れてしもうた。
 その点、星野さんは「爺殺し」の異名を持つほど財界の方々にもかわいがられ、名古屋でも大阪でもそれぞれに後援会があったくらい。裏方や記者への気遣い、ファンへの気配りも相当なもので、そらまあストレスはかかるよね。監督時代は何度も倒れてベンチ裏で静養したりもしたという。
 もともとタイガースファン、村山実ファンやったそうで、ジャイアンツ戦になると闘志むき出しのスタイルを貫いたのは村山さんのスタイルを意識してはったんやないかな。また、ドラフトで指名を約束されていたのに、ジャイアンツがそれを破って島野修さん(プレーブスのマスコット、プレービー君の中の人としても知られる)を指名したというので、よけいにジャイアンツ戦でのパフォーマンスに物語がついた。
 ドラゴンズで2度監督をし、2度優勝。そして野村克也監督のあとを受けて第29代タイガース監督に就任。片岡、アリアス、ムーア、金本、伊良部、下柳など補強を重ねて選手を大幅に入れ替え、2年目に優勝したことは、その当時ここに書いているので、それ以上付け加えることはない。
 ただ、その当時からずっと思うていたのは、星野さんはドラゴンズからの預かり物やということ。タイガースを優勝させるためにドラゴンズからお借りした方で、いずれはそちらにお返しせんならんと思うていた。その後、五輪チーム監督を経てゴールデンイーグルスに。結局私が勝手に思うていたドラゴンズへの復帰はなかった。
 投手としての成績は突出したものやなく、記憶に残る選手というにとどまると思うけれど、監督としてはセ・リーグで2チーム、パ・リーグで1チームと両リーグにまたがって3チームで優勝するという偉業を達成した人として記録に残る。ひとつのチームで名監督といわれても、その実績を買われて他チームに呼ばれ結果を残すのは難しい。ホエールズの古葉監督、ベイスターズの森監督、タイガースの野村監督と、数え上げたらきりがなかろう。それくらい難しいことを、しかもリーグをまたいでやってのけたんやから、名監督といえるやろう。その点は野村克也さんがどんなにぼやいても、ひがみにしか聞こえん。
 最後に、タイガースの優勝の翌日に各スポーツ紙に星野さんが出した1面広告を一枚紹介しておこう。こういうことができる監督は他にはいてへんと思う。いささかあざとさも感じるけれど、やはりこれだけのことはなかなかできるもんやないですわ。

 2003年の優勝はほんまに嬉しかった。星野さん、ありがとうございました。
 謹んで哀悼の意を表します。

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