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常田富士男の死 [追悼]

 本日は「全校集会」という名の終業式。むろんこの灼熱日ですから、体育館に生徒を集めてというわけにはいかず、生徒は冷房のきいた教室で放送による校長の訓話を聞いたりする。私は室温32度の部屋で首に濡れタオルを巻き、扇風機にあたりながら聞く。私にとっては、きっと体育館の方が涼しげやったんやないか。
 奨学金関連の書類を持ってきた生徒が「わあ暑う! なんでクーラーつけへんの?」なんて言う。あればつけてますがな。
 というわけで、一日事務作業。定時に退散。帰宅して録画した相撲やプロ野球中継を見る。今日の横浜スタジアムの試合はBS-TBS。この局だけはサブチャンネルを使うた放送延長などもしないのです。CS放送に誘導するためのえさとしか野球中継を考えてへんのかな。他の民放BS局を見習いたまえ。放送時間終了後はパソコンで「ニコニコプロ野球チャンネル」を見る。タイガースがどんなに大敗していても最後まで見届けるのだ!
 俳優常田富士男さんの訃報に接する。享年81。死因は脳内出血。
 私が常田富士男という俳優の存在を知ったのは「巨泉・前武 ゲバゲバ90分」でしたね。オープニングで出演者が自分の名を書いたプラカードを持って行進しているから、名前もすぐに覚える。そやけど読み方がわからなんだので母に教えてもろうたなあ。そのあと「カリキュラマシーン」にも出てはったか。まあこの2つの番組は出演者がかなりかぶるのですが。
 そやから、私にとっての常田富士男さんは「コント番組で不思議な存在感を示す人」やったのです。
 で、「まんが日本昔ばなし」やね。市原悦子さんは子どもの声からおばあさん、おじいさん、美女の声とひとりでいくつも演じ分けができる人。東映まんが祭りの劇場長編では「サイボーグ009」や「太陽の王子ホルスの大冒険」でヒロインを演じてたしね。
 そやけど常田さんは違う。どんな役も常田さんの語り口でやるのです。そやのに、それぞれが別人に聞こえるのです。演技力というのはこういう力なんかと子ども心に強く印象に残ったね。
 今朝のスポーツ紙の見出しも「むかーしむかしのことじゃった」とつけていた。よく飲み屋での宴会芸で物まねをやったものです。高見山関と常田さんと笑い袋は今でも自信がある。それはともかく、それだけ常田さんの語り口が多くの人に浸透していたということなんやろうね。
 ちなみに今テレビ東京系で「ふるさと再生 日本の昔話」というアニメをしてますが、声優はやはり二人だけで、柄本明さんと松金よね子さんが担当している。明らかに常田さんと市原さんを意識したキャスティングですよね。
 のちにドラマや映画でそのなんとも土の匂いのするような存在感を知ることになる。
 こういう土の匂いのするような役者さんは現代ではちょっと出てこないんやろうなあ。
 謹んで哀悼の意を表します。

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桂歌丸の死 [追悼]

 愛すれどTigers「ベイスターズを3タテ!陽川、北條絶好調」を更新しました。

 朝、ABCテレビ「おはようコール」がなかなか始まらん。サッカーの中継がのびたのですね。アニメ「ピアノの森」などを見たりしてから朝食をとる。さて、そろそろ出かける用意を、という時間になって「おはようコール」が始まった。昨日のタイガースの試合のハイライトなど見られるわけなし。気象予報士の正木さんが「大阪は今朝はもう24.5度です」と言うてはる。数字を出されると、よけいに暑く感じられるやないですか。
 最寄駅まで少し歩いただけで汗だく。お山の学校までの坂道を歩いたらだくだく。仕事部屋で扇風機にあたったら汗が冷えて寒い。扇風機の風が当たらん場所に移動したらまた汗がぽたぽた。
 午前中はテスト作成など。放課後、生徒が奨学金の申し込みのネット入力をしにくる。明日、浪人生が入力しにくるので、これで全員かな。生徒が帰ったら、保護者がくる。一番暑い時間はなかなか仕事がはかどらず、少し涼しくなってきたら生徒と保護者対応。なかなか思うようには進められんもんですなあ。大阪府教委は教員の準備室にも冷房をつけてくれよ。これ、府教委によるハラスメントですか。
 落語家桂歌丸師匠の訃報 に接する。享年81。死因は慢性閉塞性肺疾患。
 鼻に酸素チューブをつけて高座に上がっても、「鬼気迫る」という感じにならなんだらしい。それがすごい。芸風は大阪弁でいうところの「はんなり」した落語。とはいうても、あまり東京落語を聞かんもんやから、師匠の芸についてどうこう言える立場やないのですね。一度は生の高座を聞いておきたい一人やったことだけは確か。
 そろそろ仕事なんかうっちゃらかして「東西名人会」みたいなのにもっと行っておくべきやなあ。以前は「平成紅梅亭」の公開録画で東京の落語家さんの芸もいっしょに楽しんだりもできたもんですけれど。お山の学校に転勤してこの方、仕事帰りに甲子園、仕事帰りに落語、仕事帰りにクラシック、なんてでけんようになった。
 また一人「江戸前」の落語家が鬼籍に。寂しいことです。
 謹んで哀悼の意を表します。

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加古里子の死 [追悼]

 愛すれどTigers「上本絶好調も故障で長期離脱」を更新しました。

 4連休のあと、いきなり5時間連続授業。これはこたえます。無意識のうちにストレスがかかっているのか、一日中目がちらちらとしてうっとしい。今もまなこについている埃が影のように動くのが見えます。明日も5時間授業。準備は一応してるんやけれど、朝から支度しなければならんと万全やないしなあ。一日雨で気が滅入るのであります。
 絵本作家加古里子(かこさとし)さんの訃報に接する。享年92。
 幼稚園のころ、「だるまちゃん」シリーズの絵本が大好きやった。幼稚園の絵本コーナーにはシリーズが全部そろっていて、同じ本を毎日何度も読んだのが記憶に残っている。「かこさとし」というペンネームも覚えやすかったからかな。歯医者さんの待合室にあった別の科学絵本もよう読んだなあ。
 不思議なことに、それだけ好きやったのに、自分では一冊も持ってへんのですね。待合室やらの子ども向きの書棚にはたいてい加古さんの絵本があったし、見つけるたびに読んでたから、手元に置いて読み返す必要がなかったからかもしれんな。そのくせ長新太さんや和田誠さん、安野光雅さん、五味太郎さんや佐々木マキさんの絵本は手元にあったりする。
 絵のセンスで手元に置くかどうかを決めてたのかもしれんなあ。加古さんの絵本は絵で見せるものやなく、わかりやすいお話と、科学的にものの見方をくれたことは確かやけれど、こと画風に関しては私の趣味やなかったということか。
 とはいうても、幼い私に絵本を読む楽しさを教えてくれたという点では、非常に大きな存在やったことは確か。だるまちゃんがてんぐちゃんの鼻をうらやましがって、餅で鼻を作ってつけるとか、みう40年以上も読んでへんのに、ちゃんと覚えてるんやもんなあ。手元にないから読み返すこともしてへんしねえ。それでも覚えているということはよほど印象に残ったということやろうな。
 謹んで哀悼の意を表します。

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衣笠祥雄の死 [追悼]

 今日も授業がめいっぱい入っていて、火曜日が終了した時点でもう気分は週末。雨の中、とぼとぼと帰宅。今日はタイガースの試合も雨中止。夕食後、妻と何本か録画したアニメを見る。だいぶたまってきているんで、こういう機会に少しでも見ておかねば。まあもうそろそろ録画するのをやめる作品も決めておかんとね。あまりにも録り過ぎです。
 プロ野球広島東洋カープの永久欠番3で、連続試合出場2215試合の記録を持つ衣笠祥雄さんの訃報に接する。享年71。死因は上行結腸癌。
 衣笠さんは私がプロ野球を見始めた時にはもう若くしてカープの主軸を打っていた。カープが優勝した1975年、私は中学1年生。その時点でもうすでに熱烈なタイガースファンやった私やったけれど、カープの優勝は素直に祝福していたと記憶している。万年最下位のチームが優勝したんやもんな。「常勝を義務づけられている」などという傲慢なジャイアンツの優勝とは意味が違う。その後、カープはしばらく黄金時代が続く。カープに江夏さんが移籍していって、そこで初めての優勝を体験して大喜びしてはるのを見た時も、悔しさはあったけれど(なにしろタイガース戦で優勝を決めたんやからね)、江夏さんの笑顔でその悔しさもかき消えた。
 強かったよ、あの頃のカープ。その中心に衣笠さんがいた。孤立しがちな江夏さんの味方になったのも衣笠さんやったと、川上健一さんの名作「サウスポー魂」(講談社文庫)に書かれていたので、より好感度が増した。
 とにかく豪快なスイングとしなやかな動きの守備が印象に残っている。素晴らしいプレーヤーやったけれど、不思議なことに指導者としてユニフォームを着ることなく終わった。山本浩二監督の時にコーチになるのかなと思うていたのに、なぜか解説者のまま。おそらくカープ以外のユニフォームを着る気はなかったやろうから、何度かタイミングを逸しているうちに世代交代の時期を迎えてしもうたのかもしれん。これはもとフライヤーズの張本勲さんもそうなんやろう。選手としての存在が偉大すぎたのかなあ。
 一度はコーチか監督でユニフォームを着てほしかった一人やったことは間違いない。
 解説ではあの「ゴリ」とあだ名されたいかつい風貌とは対照的なやさしい語り口で、わかりやすくプレーを分析してはった。しゃべりすぎず、しかし的確にポイントを指摘するような解説やった。朝日新聞で毎週解説を書いてはったけれど、そちらも非常に細やかな解説で、いろいろと勉強になった。
 星野仙一さんに続いて衣笠さんか。少年時代にそのプレーを見ていた人たちが次々と鬼籍に入っていく。それだけこちらも歳をとったということか。
 謹んで哀悼の意を表します。

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月亭可朝の死 [追悼]

 愛すれどTigers「小野、今季初登板初勝利」を更新しました。

 今日は午前中は始業式、午後は入学式。人権担当として両方の式で「いじめ防止基本方針」について説明する。そちらの仕事と並行して、奨学金関係の問い合わせやらなんやらと多忙。ひととおり仕事が終わり、仕事部屋に戻るとなんかぐったり。特に大勢の前で話をするのは疲れるなあ。気温も低く、体育館は特に寒かった。その影響もあるのかな。
 帰宅して、録画したアニメを見たり読書をしたり。
 パソコンに向かい新聞のサイトを開いてびっくり。落語家月亭可朝さんの訃報 に接する。享年80。死因は急性肺線維症。
 去年久々にCDとアナログレコードを出し、可朝健在を示したところやっただけに、ここからもう一度盛り返すかと思うてたんやけれどなあ。「嘆きのボイン」や「借金のタンゴ」など、今ならとても新譜として発売でけんような曲を歌う歌手としての方が印象に残ってる人もいてはると思うけれど、可朝さんはれっきとした落語家でしたぞ。
 カンカン帽に眼鏡、髭のトレードマークで高座に上がることもあったけれど、預かり弟子とはいえ桂米朝の一番弟子ですよ。私は残念ながら生の高座を見ることはなかったけれど、テレビで見た「住吉駕籠」などは落語家としての実力をいかんなく発揮してはった。
 月亭の屋号を復活させ、八方さんという人気者を育て、孫弟子の八天さんは文都の大看板を継いだ。可朝さんがええかげんな落語家やったとしたら、一門なんて作られんと思うよ。
 参議院選挙に立候補してみたり、賭博で逮捕されたりと落語以外の話題が多かったのは事実やけれど、新聞のサイトの訃報記事では“カンカン帽姿で奏でるギター漫談で人気を集めた”とまず書かれてしまうわけで、まあ落語家としては型破りではあるけれど。東京落語ではまずこういうタイプの落語家は出てこんかもね。
 一時期は仁鶴、三枝と並んで若手落語家の人気者とされてたりしたけれど、型破りな分、ファンを選ぶようなところがあったのかもしれんねえ。
 おそらく追悼番組なんかは製作されへんのやろうけれど、せめてNHKくらいはアーカイブの中から「上方落語の会」あたりでその高座姿をちゃんと放送してほしいものです。
 謹んで哀悼の意を表します。

 4月15日(日)は、「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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高畑勲の死 [追悼]

 週明けから新学期。その準備に追われる。天候は一日ほとんど雨。帰路にはかなり強く降っていたこともあり、帰宅してからはごろごろしながらプロ野球中継を追っかけ再生で見る。大阪は雨やったけれど、球場は京セラドームなんで関係なし。タイガースは連勝ストップ。明日からまた連勝してくれたらよいのです。
 アニメーション監督高畑勲さんの訃報 に接する。享年82。死因は肺癌。
 まだ小学校に入る前から、母は私を「東映まんがまつり」に連れていってくれた。私の記憶ではたぶん「アンデルセン物語」から「アリババと80匹の盗賊」くらいまでは毎年夏休みと春休みに当時河原町三条にあった「京劇」という東映直営の映画館に連れていってもろうていたと思う。
 「アンデルセン物語」は退屈やったという記憶があったけれど、次に連れていってくれた「太陽の王子 ホルスの大冒険」は子ども心にも凄く夢中になって見たという覚えがある。この映画は小学校に入学した時に学校の講堂での「映画鑑賞会」でもう一度見ることができた。担任の先生に、この映画がどんなに面白いかと語ったんやなかったかなあ。
 カットされてはいたけれど、夏休みにテレビで放送されると必ず見た。高校入学後はおがわさとしさんたちといっしょに上映会に見に行ったりもした。なにしろホームビデオなんてない時代やから、見られる機会を逃したくなかったのです。「長ぐつをはいた猫」「どうぶつ宝島」も同様。この3本を幼い時にリアルタイムで見られたのは幸せなことやったと思う。
 テレビでは友だちが「宇宙戦艦ヤマト」に夢中になっている時に、私は「アルプスの少女ハイジ」を見ていた。そして、「ホルス」も「ハイジ」も高畑勲という人が作った作品やということを知った。「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」、そして「じゃりン子チエ」(劇場版、テレビ版とも)。ここらあたりまでが私の好きな高畑作品かなあ。
 スタジオジブリ設立後はアニメーションの楽しさよりも表現を突きつめていくことを優先させている感じがして、特に「おもひでぽろぽろ」はもう「こらあかん」と思うた。テレビで見た「ホーホケキョ となりの山田くん」もいしいひさいちの原作をいかに解体して再構築するかというような作品に仕上がっていたし(むろん高校時代に放送していた「おじゃまんが山田くん」よりは完成度の上では比べものにはならんのやけれど)、「平成狸合戦ぽんぽこ」は面白かったけれど、ラストがどうも私には納得いかんかった。
 とはいえ、宮崎駿さんと組んだ数多くのテレビアニメは手塚漫画や円谷特撮などとともに私の血肉になっているものばかり。ええ歳して毎日何本もアニメを見続けているのは、その魅力を高畑さんや宮崎さんに刷りこまれたからやと、それだけは間違いないと思うている。
 「太陽の王子 ホルスの大冒険」はビデオでもDVDでも買うて手元に保管している。劇場版の「じゃりン子チエ」もDVDを前任校では毎年生徒たちに見せていた。時代を超えて、生徒たちも楽しんで見てくれた。「ホルス」をリアルタイムで見てなんだら、私の感性はまた違うものになっていたかもわからんな。私の中では非常に大きい存在なのですよ。
 高畑さん、ほんまにありがとうございました。
 謹んで哀悼の意を表します。

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レツゴー長作の死 [追悼]

 日曜ですから、やはり午前中はテレビを友とする。「宇宙戦隊キュウレンジャー」は最終回。宇宙最強の悪、ドン・アルマゲはあっけなく最後を迎えたけれど、宇宙の生命エネルギーを集めていたのがキュウレンジャーの小刻みな攻撃で少しずつ漏れていき、ついにすっからかんになったところをやられるという、一応筋は通してある。そやないと、1年間やたら強かった相手がやられる理屈にはならんもんね。総勢12人という戦隊シリーズ最多のヒーロー群像ではあったけれど、全員を生かし切るのは難しかったかな。やはり5~6人が限度ですね。
 夜、ネットニュースを巡回していたら、レツゴー三匹のメンバー、レツゴー長作さんの訃報に接する。享年74。死因は肺がん。ここ数年闘病生活を送ってはったとのこと。
 これでレツゴー三匹は正児さんだけになったなあ。
 レツゴー三匹についてはレツゴーじゅんさんが亡くなった時 に書いたので、今日の日記では繰り返しません。
 長作さんは松竹新喜劇からコミックバンド「あひる艦隊」などを経て、レツゴー一修さんの抜けたところを埋める形でレツゴー三匹に加入。ここらの事情はレツゴー正児さんの著書などにくわしく書かれていて、じゅんさんは当初長作さんの加入には反対やったみたいやった。正児さんが2人中心でまわしていったらいいと説得し、結局その通り正児さんとじゅんさんの横に立って、時々横から話に入るという形は最後まで変わらなんだ。
 とはいえ、強引にネタを進めるリーダーの正児さんと、暴走気味に笑いを取るじゅんさんの間に立ちクールにつっこむ長作さんがいてこそのレツゴー三匹やったんやと、残された漫才の映像で確認できる。
 人(じん)長作名義でレコード「道頓堀人情」を発売。天童よしみさんらとの競作になり、天童さんほどではなかったけれどけっこうヒットしたという記憶がある。
 じゅんさんが俳優業を中心にしてからはトリオでの活動が休止され、三味線漫談をしてはったようやけれど、私は残念ながらそちらは見たことがないのでなんとも言われん。
 昭和の漫才師がまた一人、鬼籍に。
 謹んで哀悼の意を表します。

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アーシュラ・K・ル=グウィンの死 [追悼]

 朝、お山の学校の最寄りバス停に降り立ったら、粉雪がちらついている。試験監督をした後、奨学金関係の書類送付のため近隣の郵便局まで行く。空から落ちてきてダウンジャケットについているのは雪やない。霰です。封書が濡れんように脇にはさみ、ポストに投函。職場に戻る途中で霰は雪に変わった。午前中から昼にかけてずっとこんな天候。大雪やないだけましと思わんとな。この冬一番の冷え込みやとか。お山の学校近辺は昼も氷点下やったんやないか。今週末にかけて寒さは続くらしい。きついなあ。
 SF作家アーシュラ・K・ル=グウィンさんの訃報に接する。享年88。死因不詳。
 ごめんなさい。私、「闇の左手」も「ゲド戦記」も読んでません。「ゲド戦記」は岩波少年文庫で一応全巻持っているけれど、未読。そんな本は山のようにあるけどね。
 実はかつてサンリオSF文庫で上下巻で出ていた「マラフレナ」しか読んだことないんです。なんでそんなマイナーなものを読んだかというと、当時毎年出ていた「日本SF年鑑」のブックガイドを書くために、山岸真さんに読むように依頼されたのであった。
 若気の至りというのか、ブックガイドにはならず、いかに面白くないかを書きたてるような文章になってしもうた。いま読み返したらどう思うかわからんのやけれど、20代半ばの私にはかったるく感じられたのですね。で、正直にそういう内容のことを書いた。
 本が出版された後、現東京創元社の小浜徹也さんから「喜多の悪い癖が出た」と言われたのを覚えている。ル=グウィン初読で代表作でもなんでもないのにあたってしもうたのは不幸としか言いようがない。
 これを機に、今読んでいる「精霊の守り人」のシリーズや、池波正太郎の一連の「仕掛人」ものの間にはさんで、積んである山から「ゲド戦記」を掘り出して読むことにしようかな。
 たぶんご本人の目には触れてへんと思うけれど、30年ほど前、失礼なことを書いてすみませんでした。
 謹んで哀悼の意を表します。

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星野仙一の死 [追悼]

 午前中は、昨日の深夜に新たに始まった「ウルトラセブンX」などを見てから少し寝て、午後には年賀状の投函と駅前の神社へ初詣。5円の賽銭でどこまで願いがかなうかわからんけれど、しんどい状況から脱するために真剣に願う。
 昼のニュースで、もとドラゴンズ投手、ドラゴンズ、タイガース、ゴールデンイーグルス監督の星野仙一さんの訃報に接する。享年70。死因は膵臓癌。

 プロ野球史上まれに見るパフォーマーの一人やったと思う。むろんそれには実力が伴うてんとあかんのやけれど。「見せる」ことを意識してプレーをしたという点ではタイガースの藤村富美男さんが一番やったんやないかと思うけれど、藤村さんは人脈作りなどは苦手やったらしく、引退後はフライヤーズのコーチをしただけで球界から離れてしもうた。
 その点、星野さんは「爺殺し」の異名を持つほど財界の方々にもかわいがられ、名古屋でも大阪でもそれぞれに後援会があったくらい。裏方や記者への気遣い、ファンへの気配りも相当なもので、そらまあストレスはかかるよね。監督時代は何度も倒れてベンチ裏で静養したりもしたという。
 もともとタイガースファン、村山実ファンやったそうで、ジャイアンツ戦になると闘志むき出しのスタイルを貫いたのは村山さんのスタイルを意識してはったんやないかな。また、ドラフトで指名を約束されていたのに、ジャイアンツがそれを破って島野修さん(プレーブスのマスコット、プレービー君の中の人としても知られる)を指名したというので、よけいにジャイアンツ戦でのパフォーマンスに物語がついた。
 ドラゴンズで2度監督をし、2度優勝。そして野村克也監督のあとを受けて第29代タイガース監督に就任。片岡、アリアス、ムーア、金本、伊良部、下柳など補強を重ねて選手を大幅に入れ替え、2年目に優勝したことは、その当時ここに書いているので、それ以上付け加えることはない。
 ただ、その当時からずっと思うていたのは、星野さんはドラゴンズからの預かり物やということ。タイガースを優勝させるためにドラゴンズからお借りした方で、いずれはそちらにお返しせんならんと思うていた。その後、五輪チーム監督を経てゴールデンイーグルスに。結局私が勝手に思うていたドラゴンズへの復帰はなかった。
 投手としての成績は突出したものやなく、記憶に残る選手というにとどまると思うけれど、監督としてはセ・リーグで2チーム、パ・リーグで1チームと両リーグにまたがって3チームで優勝するという偉業を達成した人として記録に残る。ひとつのチームで名監督といわれても、その実績を買われて他チームに呼ばれ結果を残すのは難しい。ホエールズの古葉監督、ベイスターズの森監督、タイガースの野村監督と、数え上げたらきりがなかろう。それくらい難しいことを、しかもリーグをまたいでやってのけたんやから、名監督といえるやろう。その点は野村克也さんがどんなにぼやいても、ひがみにしか聞こえん。
 最後に、タイガースの優勝の翌日に各スポーツ紙に星野さんが出した1面広告を一枚紹介しておこう。こういうことができる監督は他にはいてへんと思う。いささかあざとさも感じるけれど、やはりこれだけのことはなかなかできるもんやないですわ。

 2003年の優勝はほんまに嬉しかった。星野さん、ありがとうございました。
 謹んで哀悼の意を表します。

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仁賀克雄の死 [追悼]

 朝、お山の学校の最寄りバス停に降り立ったら、粉雪がちらついていた。風も山から吹きおろしていて、一段と寒い。昼ごろ校舎から外に出たら、やはり粉雪ちらちら。この日記では再々書いておりますが、視覚的に「寒さ」を強化するのですね、雪というやつ。神経なるものが「寒っ」と感じてしまうのです。冬期休業中につき、生徒たちはほとんど来てへんし、教員の多くは年休の消化どきとばかりに出勤してへんし。校内は閑散としている。
 私は午後から日直当番にあたっていたんで出勤。午前中は諸般の事情で休むわけにはいかなくなったし、午後は日直のほか、奨学金関係でどうしても年内にすまさねばならん仕事があり、休みどころではございませんでした。
 仕事部屋の掃除やゴミ捨て、カレンダーの架け替えなど新年に向けての準備も整い、退勤時間ぎりぎりに生徒が書類をそろえて来てくれたので、奨学金関係の仕事も一段落。明日は休暇を取っているので、本日が御用納めと相成りました。ああ疲れた。
 夜、新聞のサイトを巡回していたら、翻訳家、仁賀克雄さんの訃報に接する。享年80。死因は肝臓癌。
 C・L・ムーアのノースウェスト・スミス・シリーズ「シャンブロウ」などの翻訳、ソノラマ文庫のディック短編集の編集などをしはった方で、野田昌宏さんが「SF英雄群像」で「『シャンブロウ』は俺が訳したかったのに仁賀克雄にとられた」と悔しがったはったのを思い出す。でも、ノースウェスト・スミスはあの野田節で訳されていたらかなり雰囲気が違ったと思うので、仁賀さんの少し硬めの文体でよかったんやないかなあ。
 これを機にC・L・ムーアが復刊されたらええのに(むろん松本零士さんの挿画もそのままで)。
 謹んで哀悼の意を表します。

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